2019年05月30日

英語の問題



 【問題1】
  以下の文章を英訳しなさい


 ポール「やあ、タクヤ。何をしているんだい。」

 タクヤ「やあ、ポール。ギターの練習さ。
     次の金曜日に職場の飲み会があってね。その余興だよ。」

 ポール「余興のためのギターなんか弾いて楽しいのかい。」

 タクヤ「楽しくなくても仕方がないよ。これも仕事なんだ。」

 ポール「仕事だって。嘘だろ。
     君は病院の事務職だ。
     どうしたってギターの練習をする必要があるんだ。
     馬鹿な奴だ。
     もう少し自分の頭で自分の仕事を定義しろよ。
     上司に唯々諾々と従うことしかできないのか。
     海に浮かぶ海月ほどの意志も持たない人間だな君は。」

 タクヤ「黙れよ。
     僕はギターを弾くのが好きなんだ。
     どんな形であれギターを弾き続けていれば良いんだ。
     僕は正しいんだ。」 

 ポール「へえ、じゃあ君は何のためにギターを始めたんだい。
     自分のためだろ。
     今の君の在り方は不誠実だ。
     仕事に対してもギターに対しても。
     今すぐ仕事をやめなよ。
     もしくはそのご自慢のギブソンをへし折っちまいな、クソが。」

 タクヤ「クソはてめえだ近親相姦野郎。
     言いたい放題抜かしやがって何様のつもりだ。
     死にやがれ。」

 タクヤはポールの頭を掴み取り、箪笥の角に力いっぱいぶつけました。
 ポールの首はボッキリと嫌な音をたてて折れました。
 これは即死です。

 それでもタクヤは飽き足らないようです。

 手近にあったジャックダニエルの空き瓶で死体を矢鱈に殴りました。
 タクヤの凶行はポールの姿がすっかり無くなるまで続きました。

 そしてタクヤはようやく気付きます。

 タクヤにポールなんて人間の友達はいません。
 ポールなんて人間はタクヤの脳髄が作り出した幻覚だったんです。

 タクヤは幻覚から抜け出して安心したのか笑いだしました。


 アハハ、アハハ、アハアハ、フフフ、フフウフフ、ウフ


 ひとしきり笑うとタクヤはすぐにもとの暗い顔つきにもどり、じっと虚空を見つめます。

 ずいぶん長い時間そうしていましたが壁掛け時計のぼーんという音を聞くと「明日も仕事だ」と独り言ちて寝室に行ってしまいました。


 部屋にはもう誰もいません。
 あるのは滅茶苦茶にされたギブソン・レスポールだけ。
 ネックが無惨にも折れた、ボディも酒瓶で傷つけられたギブソン・レスポールだけ。


 タクヤの友達もタクヤ自身ももういません。




  
 
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posted by 空漠 at 23:26| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月03日

9月の読了

 記録的豪雨・猛暑というダブルパンチを受けた夏が過ぎ、
 静かで涼しい秋がやってまいりました。

 布団を重くして寝るのが好きなので早速厚手の毛布と羽毛布団を引っ張り出してきましたが、
 それだと流石に暑いので服装は半袖短パンという夏スタイルのままで寝ている空漠です。
 


 8月は休みが3日しかなかったりと、夏場は新社会人としてそれなりに忙しく過ごしていました。
 9月に入り気候が穏やかになるにつれ、僕の生活も落ち着きを取り戻してきたように感じます。

 少しづつ読書量を増やしたいなあと思っていつつ、とりあえず最近の読了。

 島田荘司『斜め屋敷の犯罪』(改訂完全版 講談社文庫)

 いつも通りの本格ミステリです。

 北の最果ての地にひっそりと建つ洋館で起きる摩訶不思議な殺人事件。
 こう書いただけで最高ですね。実際読んでみて最高の読後感でした。


 読後感は最高なんですが、読んでる間は結構イライラしました。

 登場人物がほとんどひねくれた性格の俗物ばかりで会話に面白みがないとか、
 探偵の登場がかなり遅いのでそれまで警察官が右往左往する様子を延々と読まなきゃいけない
 というのがイライラの原因なのだと思います。

 英子とクミのプライドのぶつかり合いとかストレスたまるばかりでしたね。
 
 話としてどこにあの二人の小競り合いの描写がいるのか全く分からない。
 こういうところが「本格ミステリの人間が描けてない」ってやつなのかなあ。
 
 などと偉そうなことを読んでいて思ってしまいましたが、
 それは読み終えた今となっては大きな誤りでしたと認めざるを得ません。

 
 というのもミステリー小説というのは殺人者が主人公として作られる小説です。

 殺人者は自らの人生を賭けてまで殺人を渇望し、殺人を計画し、殺人を実行するのでしょう。
 そしてそうであるならばその殺人を描写することは殺人者という人間を描写することに同じです。

 小説というものが主人公を中心に人間を描くことを目的にしている以上、ミステリー小説の主人公は紛れもなく殺人者です。
 探偵というのは物語における乱暴な司会進行役に過ぎないのです。
 
 
 『斜め屋敷の犯罪』で描かれる殺人の計画はあまりにも突飛なものです。
 しかし実行中の描写において殺人者の人となりがリアルに伝わってきます。

 そして物語の最後に語られる犯行動機。
 これもまた物語でしかありえないような突飛なものに思えてしまいますが、
 犯人の「殺人を犯さずにはいられない」「殺人を犯すことでしか自らの命の意味を見いだせない」という心情に
 対しては読み手は不思議と理解を示してしまいます。


 あんまり詳しく書いてネタバレになっても良くないないのでほどほどにしておきます。
 (そろそろ眠くなってきた。)

 次はミステリ以外の本の感想書こうかな。
 そしたらネタバレが多少あってもいいよね。 

 
posted by 空漠 at 00:34| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年01月26日

『屍人荘の殺人』読みました。


 第27回鮎川哲也賞受賞作品『屍人荘の殺人』を読みました。
 その感想を書きます。いやー、面白かった。

 「ネタバレ」を一切しないように意識しつつ筆を運ぶつもりですが、あまりにそれを意識しすぎると感想を書くところが無くなってしまうのがもどかしい……


 あらすじ
 神紅大学一回生の葉村譲は所属するミステリ愛好会の先輩・明智恭介、謎の美少女名探偵・剣崎比留子とともに、同大学映画研究会の夏合宿に参加する。避暑地のペンションを貸し切っての合宿や廃墟での心霊映像の撮影、映画研究会に届いた不可解な脅迫状といった状況に興奮を隠しきれない明智とそのブレーキ役に徹していた葉村は映画研究会やそのOB達のなかにあるギクシャクとした人間関係を感じとっていた。そんな中、合宿メンバーは突如として発生した「大事件」に巻き込まれる。外部への移動・通信手段を封じられたペンションで葉村たちは数日間生き延びることを余儀なくされるのだが……

 この「大事件」というのがホントに大事件。まさか本格ミステリに「アレ」を出しちゃうなんてなあ。ホントに斬新。ホントに奇抜。
 でも斬新で奇抜なだけじゃない。
 斬新で奇抜だけれども間違いなく本格ミステリなのだ。


 この作品は基本的に主人公葉村譲の一人称視点によって描写される。
 女主人公剣崎比留子はホームズ役として推理を進めつつ、葉村がワトソン役として物語を紡いでいる。
 剣崎と葉村のやり取りの軽妙さや剣崎に対する葉村のドギマギとした心情の描写は、昨今の学園ミステリのようなライトな読み応えを感じさせた。
 しかし物語序盤の葉村視点の文で作者のミステリに対する信念が読み取れる。
 つまりは「恋愛や青春小説の要素もふんだんに盛り込んだライトミステリとも呼ぶべき作品群もミステリであると考えるが、私は古典作品や本格推理と呼ばれる作品をこそ愛する者である」ということだ。
 
 そしてこうした作者の信念(矜持?)は間違いなく本格ミステリ作家としての筆者の手腕によって作品に反映されている。


 まずミスリードの上手さ。
 「これはいかにも」と思わせる細かなセリフが諸所に仕掛けられていて、それらに気を取られていると重要な文章に仕掛けられた罠に気づかない。それでいて忘れかけていた細かな設定や描写を複線としてきちっと回収してくる手腕には舌を巻くものがある。これほどの綿密さは「本格」の人じゃなきゃ持ってないよ。


 さらにこの作品を特徴づける「アレ」の使い方が素晴らしい。
 詳しくは書けないけれど、まさか現代においてクローズドサークルを完成させるためだけの道具としてでなく、殺人事件のトリックにも「アレ」をがっつり絡ませているとは……

 さらに登場人物たちが持つ観念的な部分にも「アレ」の存在は重要な役割を果たす。
 探偵、被害者、加害者、その他の登場人物の心に別の形で映し出される「アレ」の描写はそれぞれが背負った傷や業を象徴していて味わい深いものがある。
 また「アレ」が登場することによってこの小説は、他のミステリ小説にはなかなかないような、人の死に対する独特の哀切さや無情さを持っているのだと思う。それが新鮮で私は特に気に入っている。「アレ」関係の映像作品では割とありがちかもしれないけど。
 


 この作品を一言で紹介するならば「『アレ』が出てくる新しいタイプの本格ミステリ小説です」と言えるだろう。
 こう一言でやっつけてしまえば簡単なのだが、この一言に本作のすごさが詰まっている。
 「アレ」というあまりにも斬新で突飛な存在を物語の中心に据えながらもまず間違いなく「『本格』です」ということができるからだ。

 かくいう私も読んでいて「アレ」が出てきたときには「おいおいおい、そんなのありか?」と半ば呆れた思いであった。
 がしかし、読み終わってみればどうということはない。
 いつも好きな作家の本格ミステリを読んでいるときと同様である。
 見事に自分が騙されていたというくやしさとカタルシスが胸中にあるばかりだ。
 そこには「これが本格ミステリといえるのか」などという疑問は一欠けらも存在しないのである。
 
 最後に、格調高き本格ミステリに「アレ」を盛り込むのはあまりにも暴力的な力技かもしれない。
 しかしこの作品はそれを可能にする力を持っていて、その力によって鮎川哲也賞という栄誉をもぎ取ったのである。
 多くの方にこの力を体験していただきたい。
 『屍人荘の殺人』はそう強く勧められるほど間違いようのない本格ミステリなのである。
posted by 空漠 at 04:05| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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